ちゃこぺん。綴る

都内の大学生が、気ままに日々を綴る。

世の中の『悪事』は誰によって成されるのか?

今日は、『悪の陳腐さ』について綴っていこうと思います。

これは、私のお気に入りの本である『武器になる哲学』に書かれたお話で、すごく興味深かったので紹介したいと思います。

『武器になる哲学』はこちら↓↓

『悪の陳腐さ』について書いたハンナ・アーレント(政治学者/哲学者)は、『悪事は思考停止した凡人によってなされる』と言っています。

この本を参考に私的見解も踏まえながら、どういうことなのか、具体例をあげて見ていきたいと思います。


<目次>


【ケース1】ユダヤ人迫害の悲劇

歴史的にも有名なドイツで起こったユダヤ人への迫害」

これを推し進めたのは、これまた有名な独裁者の「ヒトラー

これだけ見ると、この悲劇を引き起こしたのは誰でもない「ヒトラー」自身によるものだと考えがちですが…

『実際に迫害を行ったのは誰か?』

『実際にユダヤ人を惨殺したのは誰か?』

と考えてみると…

それは、当時のドイツ人はもちろん、ヒトラー支配下にあった組織の人々、。

それは紛れもない『普通の人(凡人)』

ヒトラーの強烈な演説とカリスマ性によって、社会のシステムにのまれ冷静な判断力を失い、淡々と悪事を成してしまったのです。


【ケース2】毒親の場合

「親が毒親だと、子供も毒親になってしまう」とよく聞きますが…

私的には、多分それって『親と闘うことを諦めてしまった子供』なんだと思うんです。

私の親も『毒親』と呼ばれる分類で、私はそれにのまれまいと常に闘っているつもりなのですが、、

これが…

「あぁ…もうめんどくさい。親の言う通りでいいや」

「ああ、もう嫌だ。反発しても無駄無駄!」

と諦めてしまったとき。

悪は子供に伝染します。

親子という切っても切り離せない関係だからこそ、一個人としての判断力を失い、「親が言うから…」と徐々に徐々に染まっていく…。

そしてその子供も、将来自分の子供に対して「悪」を振りまくことになる。


【ケース3】政治の場合

「すぐ忖度します」で一躍有名(?)になった方がいましたが、あの方も「悪になった凡人」の例だと思います。

権力というものを前に、自分の中にある「本当にこれは良いことなのか?」という判断能力を無くしてしまった。

人間誰しも最初は『正しく』生きたいと思っているはずなのに、権力や人との関係性によって、考えることをやめ、システムに乗り、楽な道に進んでいく。


悪事を働くのは誰か?

世の中には、色々な悪が潜んでいます。

社会的な悪。倫理的な悪。

ユダヤ人迫害の歴史的悲劇もちろん、政治の現場では、闇深い出来事が常に起こっていますし、家庭内でも暴力や虐待が横行しています。

それらの悪はみな『普通の人(凡人)』によってなされているのです。

そしてその人達はみな『自分で考えることを辞めた(思考停止した)人々』。

悪事をするのは『凶悪犯』『恐ろしい人』というようなイメージがありますが…。

実際は、『隣で笑っている人』が悪に手を染めていることだってありうる。

悪は決して遠くのものではなく、自分を常について回っているものなのだと分かりますね、。


考えることをやめてしまった人間には、『自分』というものがない。

そうなると、人の意見に流される。

人の言う通りに動いてしまう。

そうして悪は簡単に伝染する。

考えることをやめてしまった途端、善悪の判断ができず、人に流され、時に戻れない闇に落ちてしまう。

そう思うと、私たちは常に考えることを辞めてはいけないし、常に闘っていかなければならないのですね、。

それが『悪に染まらない唯一の方法』であり、『悪の広がりを防ぐ唯一の方法』だと思います。


まとめ

今日はお気に入りの本『武器になる哲学』から『悪の陳腐さ』のについて書いてみました。

私自身も、考えることをやめずに、常に自分というものを持って生きていきたいです。


それでは!!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました ´ω`)ノ